本とボールと地球のあいだ

ゆるく、こっそり、いまを生きるためのブログ

奈良で「仏教」とか「死ぬこと」について考えてみた。

 

この前、奈良に行ってきました。

 
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ということで、なんとなく「仏教」について考えてみた。
 
(宗教のことはあまり詳しくない。)
 

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キリスト教やイスラム教と違って、仏教には絶対的な存在がないし、「絶対的に正しいものがある」とも考えないです。
 
 
 
すべては縁によってそうなっていて、あらゆるものごとは相互依存関係にある
 
って考える。
 
 
つまり、ちゃんとものごとには「わけがある」って考える。
 
 
「縁起」っていうのが仏教ではキーワードで、今では、「縁起がいい」とか「縁起が悪い」って、使われてるけど、本来は「縁によって起こる」って意味らしいです。
 
 
正しいことができるのは
正しい環境があるからで、
 
間違った環境にいれば
間違ったことをしてしまう。
 
 
人間はそういうものだ、って仏教では考える。だから、大人でも子どもでも正しさを押し付けるのは的外れな行為だということ。
 
大人であれ、子どもであれ、僕たちは、いいことも悪いこともやってしまう存在であるって自覚すると、「正しさ」を押しつけることによる争いがいかに愚かであるかに気づきます。
 
 

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宗教って、やっぱり「死ぬこと」について考えると思う。
 
 
おそらく僕の家系は仏壇もあるし、仏教です。浄土真宗とか詳しいことはあまりわかりません。
 
 
僕は、来世で幸せになれるようにと思って現世をがんばろうとは思ってませんが、来世があるのだとしたら、楽しい思い出を持って行きたいと思ってます。
 

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 「死んだら、先に死んだ人たちに会える」って思ってます。(というか、死後の世界とかよく分からないので、そう思うようにしてます。) なので、おじいちゃんとかに楽しい話をできるように、いま、ここをがんばろうと思うのであります。

 

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