本とボールと地球のあいだ

ゆるく、こっそり、いまを生きるためのブログ

■仏ほっとけ、神構うな。

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神や仏を信仰するのはよいが、深入りすると、かえって精神が乱れることさえあるので、ほどほどにしておくのがよい。

※「ことわざ小辞典」より

 

なんだか駄洒落みたいな諺ですが、ちゃんと辞典に載ってます。↓ 

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 (※この前、たまたま奈良の古本屋で手にしたことわざ辞典が気に入って持ち歩いている。)

 

過去や心の不安などをつついて、納得させてあげるビジネスが多くある。スピリチュアル系のカウンセラーやコーチは、はっきり言って儲かる。

人は何かを信じたいから。人間は判断基準や理由を過去や外側に求める習性がある。だからそこをつついて、「大丈夫だよ」って言われると大丈夫な気がする。気持ちよくなる。

 keitaf.hatenablog.com

 

僕は基本的に「他人の影響を受けない。」「他人に相談しない。」っていうことを意識してる。関わる限り、影響は受けてしまうわけですが、何言われても「正しさ」は自分で決めることにしてる。意見は違って当たり前だから。

 

相談しない。外野は無視する。他人の目は気にしない。正解なんてない。他人の意見が自分に当てはまるわけがない。

 

 もちろん、専門家に専門のことを聞くとかは別だけど、「やったほうがいいですか?」とか「どうすればいいですか?」そういう相談はいらないと思う。

 

信仰しすぎると盲目になる。何も見えなくなる。だから、神様を信じてる人が今でも戦争をしてる。

 

人間は宗教的な確信を持って行っているとき以上に、完璧かつ快活に悪をなすことはない。- パスカル

 

 っていう言葉は、真理だと思う。

 

 

以前、よく読ませていただいてたブロガーさんが何人かいる。その人は、たぶん数千とか数万人の人に読まれていて、信者的な人がたくさん存在する。

 

はじめは、ふむふむと読ませていただいていたんですが、なんかその人の集まり方に「気持ち悪さ」を感じるようになってしまいました。心屋さんとかもそうですね。スピリチュアルや啓発的なセミナーや本などは、悪いとは言いませんが、盲目的になるのはどうかと。

 

その「教祖的な人」の価値基準で生きる人を量産しているわけです。答えなんてないのに「見つかった」と勘違いして盲目になってる人が多い。現実から逃れたい人ほど、よりどころを探す。そうやって安心する。

 

 何かにすがりたくなったときは、「仏ほっとけ神構うな」と呟こう。

 

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